推しの卒業発表

え?


その時は突然訪れた。 

何気なく研究室で作業をしていた時だった。 

影ちゃんのブログが携帯の通知に届いた。


だいすきなみなさんへ


このブログタイトルはひなくり前に届いたブログタイトルと同じだった。

不穏に思いながらブログを開いた。 

そこにはいつもの影ちゃんの小ボケと共にこんちゃ!から始まるブログ。 

その次の行を見た時心臓が止まりかけた。


『私、影山優佳は次のシングルでの活動をもって 

 日向坂46を卒業します。』


あまりの衝撃に目の前が真っ白になった。 


手足が震え出し、やっと我に帰った。 

呼吸を忘れ、酸欠になっていたのだ。 


受け入れられない現実。

それでもどんな思いで打ち明けてくれたのか、カゲサポとして受け止めることが大切だと震える手を押さえながら読み進めた。


グループのため… 

そこには卒業を決めたのが去年の夏であること。 

自分の耳の特性で一番好きなライブが純粋に楽しめなくなることへの葛藤、 悩みに悩んだ末の先に進む決心。


この判断にどれだけ悩んだか、 我々オタクには到底計り知れない思いだっただろう。

そして、この言葉を見た時に涙をこらえることができなかった。 


『私が最後にグループの名前を広められる活動をする』 


影ちゃんは復帰後、日向坂46に負い目を感じていた。 

学業のため活動休止をし、その間にひらがなけやきは日向坂46に改名。 

グループが飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していくのを外から見ていて、そんなグループに何もできていない自分は戻ってきていいのか、自分の居場所はあるのだろうかと悩んでいたが、暖かく待っていてくれるメンバー、そして影ちゃんがメンバーと一緒に活動をしたいという気持ちが一番強かったから戻ってくることを決めた。


メンバーが気にすることはないよっと言っても自分は何もできてない、だから日向坂46のために自分ができることで知って欲しい。広めたい。

どんな時でもそのように見えた。


ひらがなから知らない私が知ったような口を聞くのはおこがましいのかもしれない。オタクごときがメンバーの思いを推し量ろうだなんて傲慢なのかもしれない。だけど、だけどそんな負い目など感じることなく自分の好きなように活動をしてほしかった。

サッカーやクイズ、自分の好きを仕事に繋げられ、好きなように活動をしていたと取ることができたのかもしれない。

だけど一番好きなライブができない、それがどれほどまでに影ちゃんが悔しい思いを抱いているか、我々には想像もつかない。

そう言う思いから好きなことを好きなだけやって欲しかった。

もっとわがままに生きて欲しかった。


初めて行ったおひさま化計画福岡公演。

その時に見たあなたの姿、今でもはっきり思い出すことができる。

最高の笑顔に、最高のパフォーマンス、この人を推しててよかった、 この場所があなたが最も輝く姿だ、いつまでもあなたの輝く姿を見ていたい、応援したいんだと心から思った。


あなたがこのグループにもたらした功績は素晴らしいものだと声を大にして言いたい。

その声は届いてるかもしれない、でも「グループのため」と言う言葉を見るたびに本当の意味で心の奥底に届いてなかったのかもしれないと思った。


だから最後の最後までこの気持ちが消えなかったのがなんとも悲しく、悔しかった。


ワールドカップ

この期間中に更新された一つ前のだいすきなみなさんへ

この中で綴られていた一年前からライブが厳しくなってきたこと。

ライブと日向坂46が何よりも大好きなこと。

ワールドカップが予想外の盛り上がりを見せ、影ちゃんの詳しすぎるサッカー知識により影山優佳という存在が世間から認知され始めた矢先だった。


私はライブに参加しないと知って絶望したと共に、良かったと思った。 あの時の影ちゃんはワールドカップの試合をほぼ全て見て、分析して、出演して、日向坂46としての活動をして、それでもテレビに出る姿は笑顔で元気はつらつな影ちゃん。

しかし、その期間に参加したミーグリで見えたのはあまりにも疲れている姿だった。

カゲサポだから心を許して見せてくれた姿なのかもしれない。

だけどあんなにも疲れた姿を見て胸が苦しかった。

この状態でライブに参加してもしものとこがあったらと思っていたから どんな形であれ、休むという判断をしたことにホッとしていた。


またライブを休むことで別の心配もあった。

ライブよりもサッカーをとったのかと思われることである。

でもそんな心配など気にすることないほどの大活躍でワールドカップと共に影山優佳という存在が多くの人に知れ渡った。


この活躍で影ちゃん自身が 

『少しは自分を褒めていいかなと救われた気持ちになり』

と言う言葉を綴ってくれたことが何よりも嬉しかった。


推しは推せる時に推せ

ここまで悲しい悲しいと書き綴ってきたが実のところ後悔はない。

全く後悔がないかといえばそうではないが、私はここまで後悔がないように推し活をやってきた。

なぜそう言い切れるのか、それはある日を境にこの言葉を胸に刻み全力で走ってきたからだ。


『推しは推せる時に推せ』


この言葉を刻んだ日は「3回目のひな誕祭」の三日後。

2022年4月3日、そう、渡邉美穂の卒業発表である。


2020年8月におひさまになった私は、柿崎芽実、井口眞緒の卒業を経験することがなかった。

もう少し早く日向坂46を知っていればとその当時は後悔したが卒業の悲しみを知ることはなかった。 


その日初めて卒業というものを経験した。


「なんでなんだ!、うそだ!、22人の日向坂46が大好きなんだ!  卒業しないで!、これからじゃないか!」


駄々をこねることしかできなかった。そしてそれと同時に、

卒業は今後誰にでも訪れるのだと悟った。


いつしか影ちゃんも卒業するんだよな。このまま推してて後悔はないのか。 あの時しなくて後悔したって遅いんだぞ。

絶対に後悔したくない、だったらどうするんだ、いつかじゃない今からだろと心に誓いその日から、きたるその時まで全力で推すことを決めた。


私が後悔しないためにはまずは何をするのがいいだろうと思い、 ミーグリは自分が買えるだけ買い、たくさん会いに行った。

会えるのに会いに行かないなんて勿体無いだろと思ったからだ。


私がミーグリに行く時に常に心に刻んでいる信念は、


「ミーグリは自分だけが楽しむんじゃない、影ちゃんに楽しんでもらう、そして一緒に楽しむ、自分の思い出にするのではなく共に思い出を作るんだ」


であり、毎回様々な企画を考え、パワポを作り、どうやったら伝わりやすいか、見えやすい画角はどうだと思考しながらやる日々は大変だけど楽しかった。

そのおかげかどうかはわからないが結果的に影ちゃんに認知をもらうことができたし、喜んでもらえた。

どのミーグリも本当に思い出となり、鮮明に思い出すことができる。

(ミーグリの考え方を変えてくれたミドリカワさん(@tttttttaigaaaaa)に感謝しても仕切れないです。)


ライブには全部応募し少しでもあなたの輝く姿を目に焼き付けてきた。


先ほど全く後悔がないわけではないと言ったのは、「Happy Smile Tour 2022」代々木公演で披露された、「その他大勢タイプ」をこの目で見ることができなかったことである。推しのセンターをどうしても見たかったが当たらなかったものはどうしようもなく、配信を目に焼き付けた。


推し方は人それぞれ様々な形があるだろう。

私の推し方はミーグリで影ちゃんに会いに行くとこ、ライブであなたが輝く姿を目に焼き付けること、この二つだったため、どちらも全力で取り組めたからこそいま後悔がないと言い切れるのである。


その日まで

卒業コンサートがあるかどうかもわからない。

残りどれくらいの時間が残されているのかまだわからない。

シングルの発売日がつい先日決まった。 おひさまを経験して、坂道3坂を追ってきて、数々の卒業を見てきて否が応でも見えてくるタイムリミット。


次のシングルで活動を卒業する影ちゃんに何ができるだろうか。

感謝を伝えられる何かをしたいと思う反面、自分の時間があまりにもないと言う現実を突きつけられもどかしい日々を送ることしかできない。


それでも自分ができることは何かと考えた時、ミーグリが一番最初に頭に浮かんだ。

そしてただ感謝を伝えることでいいのか、私のミーグリは本当にすべきことはそれであっているのかと考え直した時、答えはもう出ていた。


『影ちゃんに楽しんでもらう、そして一緒に楽しむ、 

    自分の思い出にするのではなく共に思い出を作る』 


私はこれでやってきたのだ、これをやってきたから今の自分があるのだ。


最後のその時まで影ちゃんと共に思い出を作る。 

だけどこれまでのもので満足するんじゃない、これまで培ってきたものを総動員して、最高のミーグリを毎回できるように考えるんだ。



最後の時がいつになるかわからない、だけどその時まで影ちゃんは全力で走り続けるだろう。

だったら私もその日まで影ちゃんを全力で追い続ける、推し続けるだけだ。


そして影ちゃんはこれからどんな道に進むかわからないけど、影ちゃんが表舞台に立ち続ける限り私は応援し続ける。

あなたが私の最初で最後の最推しなのだから。


江戸川ポアロ

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